ひとくぎり

2014年12月30日(火)

遊び、趣味以外の個人的なことをブログに書くのもどうかと思ったけど、これはただの日記やし、気持ちの整理、ひとくぎり付けるつもりで書き残しておくのもいいかな。ということなんで、スルーしてください。
一段落したんでボチボチ自転車始動しまっせ!








12月28日(日)3時48分 親父が逝った。今日30日(火)本人の希望通り家族だけで無事に送り出してやることができた。
満79歳、ほとんど平均寿命なんで、まぁそこそこ生きたかなと思う。
最終的な病名は原発性骨髄線維症っていう珍しい病気だった。医学的な知識がないのでよくわからないが、骨髄が線維化することで自分で血液を作れなくなるらしい。

発症したのはいつなのか不明だが、診断されたのは2~3年前だったかな?異常に気付いたのは白血球の増加だった。
その後は投薬、定期的な輸血などで何とか普通の生活をおくれてた。
今年の5月に呼吸が苦しいということで救急車で運ばれ、診断の結果、肺炎それも重症化した状態だった。
医師からはもしかしたら1ヶ月持つかどうかと言われたんで、極力顔を見せようと思った。
出たかった自転車イベントもキャンセルして週末は病院に顔を出した。
本人の頑張りもあって肺炎を克服し、6月には退院できた。
その後も定期的に輸血をしていたが、徐々に弱っていった。
根本的な治療法はないようで骨髄移植も年齢により無理。ということで進行を遅らせることと対処療法ということになる。

自分で血液を作れないんで身体の抵抗力も徐々に失われてきて、9月末に再入院することに。
そこで今度肺炎になったら命取りだと医師から言われたが、11月とうとう肺炎になってしまった。
11月末には会わせたい人がいたら会わせてあげてくださいとも言われたんで覚悟した。
それからはほとんど毎日病院に顔を見せにいった。何かできるわけではないがとにかく顔を見せて話をした。
酸素吸入器で10(l/min)近く入れて血中酸素飽和度が95くらいの状態。
12月中旬には80台にまで落ちていき、医師曰くずっとマラソンを走ってるくらいの息苦しさとのこと。
抵抗力も更に落ちてきて、全身にカビがはびこっているような状態に。
口の中はただれて食事もできず、それでも孫がお見舞いに行ったときにはピースサインをして『お爺ちゃんは頑張る!』って。息子の自分が言うのもなんですが、ほんまに頑張ってた。
クリスマスのころには意識も薄くなってきて、そろそろ限界に近づいてきて何となく27日(土)の夜くらいかと思ってその日は病院に泊りで看護しに行ったら、やっぱりというか血中酸素飽和度も70台に落ちてきて呼吸も弱くなってきて3時半には心臓もとうとう止まった。
延命治療は絶対にするなって言われていたんで何もしないでそのまま見守ってやった。
最後はほんとに静かに息を引き取った。覚悟してたし、それまで色々と話もしていたんで不思議と悲しみは無かった。
それよりもあんなにしんどい思いをして頑張ってきてたんで、ようやくゆっくりできるよなって何だがホッとした気持ちだった。

ぼくが子供の頃、親父は恐かった。ちょっとしたことでスイッチが入ると食事中なんかだとすぐに箸を投げつけてきた。
仕事柄、土日もほとんど休みがなかったんであんまり遊びに連れていってもらった記憶はないが、たまに早く帰ってきてキャッチボールしてくれることがほんまに嬉しかった。
けっして裕福ではなかったけど大学にまで行かせてもらって感謝してる。今の生活があるのは今だから言えるが親のおかげ。
60過ぎてからは角も取れてきて、奈良、岐阜とかに渓流釣りに一緒に行ったり、太刀魚狙いで夜釣りに行ったりして、そこそこ親孝行できたかな。
最後は親父の漢として病気と闘う姿を見せてもらった。親父の歳まであと29年。長いようであっという間なんで、これからの人生は悔いのないように過ごそうと思う。
親父、ゆっくり休んでくれ。あとのことは心配するなよ。ありがとう!
プロフィール

nobpman

Author:nobpman
のぶぴー
♂50代前半
174cm/57~58kg
自転車乗ったり、
たまにスキーしたり、
極々たまに渓流釣りしたり・・・

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